人はなぜ夢を見るか。海馬が記憶を定着させる課程で大脳新皮質が……、などという回答は、人はなぜ生きるのか、という問いに、心臓が動いているから、という空しい回答と同じだ。なぜ食事をするか? 栄養を取るためというのは空しい回答だ。食事は喜びである。同様に、夢もわたしにとっては一日の楽しみなのである。
とくに、最近面白い夢を見ることが多い。夢は現実で叶えられぬことを睡眠中に体験するのであろうか? 欲望の発露なのであろうか? 違うと思う。
古来より、夢は神のお告げと言われている。わたしはあまり神は信じていないので神のお告げとは思わない。では、無意識の警告なのだろうか? 未来の知らせか? 現実の疑似体験か?
これらの考えもわたしは採用しない。なぜなら、これらは現実を主として、夢を従として扱っている。夢は現実の従属物ではない。無理矢理分類するならば、旅行とか祭りとか、そういった非日常と夢は近いと思う。
いや、旅行や祭りよりも、もっと独立した存在である。だからわたしは、夢を現実とは別に楽しんでいる。夢の意味を調べたりするのももうやめた。一日の最後にとても楽しいことが待っているのは、幸せなことである。
ちなみに、昨晩は高いところから滑り落ちる夢を見た。怪我をした感覚はないのであるが、トラウザーズの膝から下が血まみれになってしまった。その時着ていたはお気に入りのREDAのスーツで、ぐっちょちと血が染み込んでいるのを見て、「これ落ちるかな?」とそればかり心配していた。