文学・文具・文化 趣味に死す!

小説家 星香典(ほしよしのり)のブログ。小説、映画、ファッション(メンズフォーマル)、政治、人間関係、食い物、酒、文具、ただの趣味をひたすら毎日更新し続けるだけのブログ。 ツイッター https://twitter.com/yoshinori_hoshi  youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UC0YrQb9OiXM_MblnSYqRHUw

なぜノンアルコールが増えたのか?

またまた昨日のつづきであるが、では何でノンアルコールが増え始めたか。当局の取り締まりが厳しくなったからだろうか? それもあるだろうが、もう少し真面目に分析すると、所属意識の希薄化、分散化、が大きいのではないだろうか。

これは、会社なり、団体なり、協会なりに所属する、自分はこの組織の一員なのだ、という自己認識がわたしを含めどうも薄らいでいるような気がしてならない。

もう一歩推し進めると、自己が分散してしまっているのだ。わたしの例で言うと、「おれって誰?」という感じ。A協会の新年会にでるわたしと、B組合の新年会にでるわたしと、C社の新年会にでるわたしは、三人とも別人である。もちろん、それぞれでの役割が違うので、キャラが違うのは当然としても、共通部分が見当たらないのだ。本来、同一人物ならば、同一人物としての共通点がありそうなものなのに。

つまり、○○に所属しているというプライマリーがないので、どこへ行っても変幻自在にキャラを変えることが出来る。そのキャラはその場限りのものなので、終わってしまえば夢のように儚く何も残らない。所属意識などは生まれるべくもない。

そこで、昔の人たちは酒のパワーで本性をあぶりだそうとしていたのかもしれない。だが、いまやあぶり出すべき本性がない状態だ。だとすれば、酒を飲んで魂のつきあい、そんなものも存在しないのである。酒を飲んで本性が出るという減少がないならば、飲ます必要もないし、飲む必要もない。

例えば、「腹を割って話す」という言葉がある。この言葉、どこか違和感を感じないだろうか。

「腹を割って話そう」
「ええ、ぜひ、腹を割って話しましょう」

この二人に割る腹はあるのだろうか?

本当に腹を割って話すときは、こんな枕詞を必要としないはずである。

気心知れた友人たちと「飲もうぜ」と集まるときに車で行く馬鹿がいないように。