キートンに行った。もちろん、キートンの服は買えない。見学である。冷やかしとも言うが、自分は冷やかすつもりなど皆無、ただキートンの服が観たくて行ったのだ。
キートンの服は美しい。生地の柔らかさもピカイチである。しかし、ジャケットであることに変わりはなく、その点、青木青山で売っているジャケットと見た目が特別に乖離しているわけではない。
むしろ、キートンのジャケットはクラシックスタイルで、良い意味で目を引くところはないのである。
では、キートンの神髄はなにか。着心地である
店員が「よろしければ袖を通しませんか?」というので、そうさせてもらった。服装に対するセンスを磨く方法は金を使いまくることだが、なるべく金を使わないでセンスを磨きたいなら試着しまくるしかない。
キートンを着た瞬間、着ていることが分からないほど、自然な感じでジャケットに包まれたのだ。フロントボタンを留めても外しても、全く変わらない包まれ具合。肩にジャケットを感じることが難しいほど、自然な着心地。
店員は「襟からラペルが吸い付いてますよね」と言う。これがラペルが体に沿うということかと、初めて理解した。
たまたま着たこの一着が奇跡の一着なのではと思った。が、その後も店員はつぎつぎに色々なジャケットを着せてくれて、その全てがことごとく着やすいのである。恐るべしキートンである。
ジャケットなど、それこそ、中学の時から何十年といつも着ていたのに、こんなジャケットがあるなどとは夢思わなかった。お値段は安いもので50万円。ジャケット一枚が50万円だ。値札を見たときは馬鹿でなかろうかと思ったが、着てみて、是非とも欲しいと思った。残念なことに、欲しいと思って買えるものではないけれどもの。
これはもう小説で一発当てるしかない。