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努力したらハッピーカム? 努力は幸福に至る必須要件か? 努力というエートスについて

4歳児がゴー・プリンセスプリキュアを観ていた。そのオープニング曲の歌詞に、
「努力したらハッピーカム」
という一節がある。ちなみにこの前後は「羽ばたけプリンセス ふわり ひらり まっすぐ夢へすすめ!!努力したらHappy Come! 奇跡起こせ Go!プリンセスプリキュア」であり、前向きな言葉が羅列しているだけなので、文脈の中の一つというわけではない。

努力をしたら幸福になれる。よく聞く命題である。常々思うのは、努力をしなければ幸福にはなれないのか、という疑問である。努力を広辞苑で引くと以下のように記されている。

【目標実現のため、心身を労してつとめること。ほねをおること。「休まず―する」「―家」】

心身を労してつとめること。嫌なことを無理に続けることである。楽しくてしょうがないことを、どれだけ長時間続けたとしても、それは努力とは言わないのである。身心に苦労をかけなければならない。

これは現代資本主義の病理ではなかろうか。我々の教育の結果、そのように感じてしまっているだけではなかろうか。逆に、本来は幸福のはずなのに、自らの努力が伴わないから幸福を素直に感じられない、そんな人間が多いのではなかろうか。

人間は心身を労せずとも、努力を経なくとも幸福に至ることは十分可能なはずである。

現代資本主義の病理は幸福の必須条件に「努力」という項目を加えてしまった。そう思わずにはいられないのである。現代社会の人間はそのエートスを埋め込まれたがために、努力を経ない幸福を幸福とは認められない、という不幸に見舞われてしまっている。

虫も獣も努力をしているようには見えない。ならば、彼らは不幸なのであろうか? あり得ないだろう。不幸でないならば幸福なのだろうか。これも疑問である。おそらく、彼らはそのままで満足しているはずである。だとすると、永遠に満足を追い求める人間よりは幸福であるかも知れない。

 

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