かくすれば かくなるものとしりながら やむにやまれぬ 大和魂
この歌を見て、とある昔のことを思い出した。オープンリーチに振り込んだ馬鹿者がいたのである。オープンリーチに振り込む、というのは意味が分からない。合理性を欠いている。その時点で負けだからだ。誤ってというわけではない。
「え、いいの? それ当たりだよ?」
とオープンリーチをかけていたものも確認した。
振り込んだ本人は苦渋の表情を浮かべ頷いたのである。
他にテンパっているものに振り込むのを恐れたというわけではない。ではなぜ彼は振り込んだか。本人曰く、
「自らの美しいテンパイを崩したくなかったから」
たしか、国士無双かなにかをテンパっていたのだ。もし他のパイを切れば、国士のテンパイが崩れる。彼はテンパイを崩すくらいならば、負けを選んだのだ。そのくらい、彼にとって国士のテンパイは大きかった。
この出来事はわたしをして、人間とはなにかを考えせしめるきっかけとなった。コンピューターはこういう打牌は絶対にしない。もしするとしたら、そうプログラムされた場合である。しかし、テンパイを自慢したいからオープンリーチに振り込むというのは、ただそういうプログラムがあれば出来るわけではない。自尊心や見栄や悔しさや怒りなしにオープンリーチに振り込むことは不可能だ。だから、仮にコンピューターがオープンリーチに振り込むならば上記のような感情を持ち合わせていなければならない。
「玉砕」という美しい言葉がある。出典は北斉書の「大丈夫寧可玉砕何能瓦全」である。「立派な男子ならば瓦で全うするより寧ろ玉砕すべし」とでも訳そうか。
オープンリーチに振り込むことが立派かどうかは意見の分かれるところだろう。ただ、この玉砕という思考は男特有の香りがし、ダンディズムと通底するところがあるのではなかろうか。