文学・文具・文化 趣味に死す!

小説家 星香典(ほしよしのり)のブログ。小説、映画、ファッション(メンズフォーマル)、政治、人間関係、食い物、酒、文具、ただの趣味をひたすら毎日更新し続けるだけのブログ。 ツイッター https://twitter.com/yoshinori_hoshi  youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UC0YrQb9OiXM_MblnSYqRHUw

礼節とサル

礼節とは不思議なものである。そこへ集う人がどのような了解を持っているかによって変わるからだ。先日の続きではないが、フォーマルな場へは黒で内羽根のストレートチップが一番無難だ。

 

 

 

しかし、そんなルールをみんなが理解していなければ、極論、なにを履いていっても良いのである。

おそらく、みんなが大体理解しているルールは「黒い靴」程度であり、その「みんなの理解」の範疇であれば、黒い靴ならばなんでもいい。

葬式にグレーのスーツで臨めば、ルール上非礼ではないが、黒い礼服が正しいと理解している人達から見た場合、やはり非礼と感じられる。「なぜ、あいつはグレーのスーツなんか着ているんだ!? なぜ喪服じゃないんだ」

日本では黒背広、黒白ネクタイが慶事弔事のフォーマルとして定着してしまっている。だが、そこに服装の哲学があるのかと言えば、ない、のである。

安倍総理をはじめ、日本の国力増強を目指しているようだが、服装の哲学のない国家が国力を増強出来るのか甚だ疑問だ。ちなみに、安倍総理は今日の首相官邸でのぶら下がり取材のおり、三つボタン二つ止めの背広を、真ん中止めで着ていた。

日本は近代国家の理念がない。近代法や近代憲法を持たない、とは検察官の調書偽造などにみられるようたびたび話題になることであるが、洋服も然りで、形だけを輸入して利用している。

小学生から英語をやるのも結構であるが思想哲学も併行してして学ばなければ、ただの言葉が喋れるサルと変わりがない。だから、ひょっとすると、いや、ひょっとしなくても、ヨーロッパの連中から見れば、我々はスーツを着ているサルと変わりがない、と思われている可能性は濃厚である。