昨日万年筆の金銭感覚に関する記事を書いていて一つ気づいたことがある。万年筆、とくにビンテージ品は値崩れしないと言うことだ。正に書画骨董のたぐいである。だから、ほいほいと金を使えるのかも知れない。一方机は一度使ってしまえば、ゴミに出すのも金がかかる。
ゴッホのひまわりを58億円払って買った企業は、その絵が欲しかったのではなく、投資の対象として購入したはずだ。そもそも、書画骨董に実用性は全くない。実用性のないものをやりとりするのは、極端な話貨幣をやりとりするのと同じようなもの。
すると、万年筆も貨幣みたいなものか? 有る一部はそうかもしれない。そうでない部分がまだ多く残っているのも事実。そんな境目の存在だからこそ面白いと思うのは自分だけだろうか。