文学・文具・文化 趣味に死す!

小説家 星香典(ほしよしのり)のブログ。小説、映画、ファッション(メンズフォーマル)、政治、人間関係、食い物、酒、文具、ただの趣味をひたすら毎日更新し続けるだけのブログ。 ツイッター https://twitter.com/yoshinori_hoshi  youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UC0YrQb9OiXM_MblnSYqRHUw

自己責任論と非自己責任論とジャーナリズム

今朝は雨である。最近雨が好きだ。雨ならば朝から外で立っていなくていいから。おかげで今朝はゆっくり記事を書いたり、小説を読んだり出来る。晴耕雨読という。雨は穀物だけでなく人間の休養にとっても恵みなのかも知れない。


さて、本題。自分の好きな話に以下のようなものがある。

ジャーナリストが危険地域を取材して怪我をして帰ってきた。
人々は言う。
「なぜそんな危険なところに行ったのだ?」
ジャーナリストはこう答える。
「どうしてあの場所が危険だと知ってるんですか?」
もちろん、ジャーナリストが取材したからである。つまり、ジャーナリストが取材して報道しなければ、我々はどこが危険でどこが安全かを知ることができない。


自分は先日、日本社会は人質を「自己責任だから」という理由で無視できない。だから、「責任は自分で負う」という理由で危険地域に行くことは不可能である。なぜなら、日本社会が日本人人質を「自己責任だから」と無視できない以上、捕まったあとの責任を自ら負うことは不可能だからである。という理屈だ。

怖い結論だ。自分で責任を負えないのだから危険地域に行く自由は存在しないという結論になる。自己責任論が自由主義ならば、非自己責任論は全体主義である。

しかし、冒頭の話のように、だれかが危険地域に行かなければ危険地域の現状はわからない。つまり、ジャーナリストのような仕事には自己責任論も非自己責任論も当てはまらないのだろう。ジャーナリストはなにかあれば自らで責任を負いきれないことを自覚し、また国民もジャーナリストの使命を理解してその行動を容認する。非自己責任論で報道の自由が失われてしまうのは大いなる損失だと思った次第である。