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マイノリティ・リポートの原作を読んでみた。映画版との違い。

映画とは全然違う。同じなのは犯罪予防局があり、三人のプリコグがいる。そして、予防局で働くアンダートンが、殺人を犯すという予言が出されるということ。

自分は映画版マイノリティ・リポートでもっとも気になった点はタイトルだと言った。映画版ではマイノリティ・リポートは存在しないのだから。

しかし、原作ではしっかり存在して、マイノリティ・リポートこそがこの話のキーとなっている。

がつんとネタバラシをすると、映画版ではアンダートンの予言ではなく、局長が犯した殺人の予言が物語の本線である。しかし、原作ではアンダートンの殺人予告のみが話の本線だ。

三人のプリコグのうち、二人がアンダートンを殺人犯と認定する。一人は無罪と認定する。故にアンダートンは殺人犯で、無罪を主張したプリコグが少数報告だということになる。

しかし、詳しく調べると、殺人を予言した二人のプリコグも、同じ未来を予言したわけではない。まず、第一のプリコグが殺人を予言する。それを知ったアンダートンが殺人を止めると予言するのが第二の報告。しかし、殺人を止めることが警察にとって不利益になると知ってアンダートンは殺人を犯すことを予言するのが第三の報告なのだ。

プリコグ達は変更される時間軸を順に予測しただけだった。その結果、たまたま殺人という予言が重なり多数報告となったのであり、実際は三つの少数報告があったに過ぎない、というのがこの話のオチなのだ。

マイノリティ・リポートというタイトルは、実にふさわしいタイトルであると感心せざるを得ない。