♪なんのために生まれて、何をして生きるのか♪
この有名な歌詞を初っぱなから間違えて、
「なんのための幸せ♪」
と歌っている。
一緒になって、「なんのための幸せ♪」と歌っていたら、なぜ幸せになりたいのか分からなくなった。
普通、我々は幸せを目的と考える。しかし、なんのための幸せ、という命題なら、幸せは手段になってしまう。さて、我々はなんのために幸せになろうとするのか。幸せは究極目的ではなかったのか。
ここにもカント的理性の限界を感じる。今度四歳児が歌っていたら、なんのための幸せか聞いてみようと思う。