社会的な暮らしが嫌になって無人島にでも行って一人で暮らしたいものだ。という欲求が定期的に起こる。特に面倒な仕事や人間関係が続いたりすると起こる。
しかし、無人島に首尾よく住んだとしても、おそらく、一週間で人恋しくなると思う。
論語の微子十八に、隠者が孔子に向かって「社会運動なんかやめて心静かに隠居すればいいのに」と言う。それに答えて、孔子は「貧しい人がいるのに、みんなが幸せになるまでは運動はやめられない」と答える。
この部分で、孔子は立派な人だ、という話になっているが、その前段で孔子はこう言う。
「鳥獣不可與同羣」
鳥獣と群れを共にするべからず。鳥獣の群れと一緒に住むことは出来ない。という。
自分はこう解釈している。鳥獣の群れで暮らすことが出来ない。人は人の群れでしか暮らすしかない。故に、その暮らしがより良くなるための社会運動を行うのだ、と。
孔子は分かっていたのだ。隠者とかいっても、所詮人の世からは逃れられないし、無人島に行っても人の世からは逃れられない。
唯一の手段はこの世を変えるしかない、と。
孔子曰く「天下有道丘不與易也」
「世の中がまともだったら、社会運動なんかやらない」
そして、孔子はまともな世の中をイニシエに見出すのである。