普遍論争というものがある。普遍は存在するのかという命題。
具体的に言うと、星香典という個人は存在するが、市民という存在はあるのか。あるとすれば、どのような定義を与えるべきか。構成員が変わっても市民という存在は以前の市民たり得るか。
個人的には普遍は存在しないと思っている。小説も同じことで、ペンタゴンの地下見取図という小説は存在するが、小説一般というものは概念の上では有効であっても厳密な意味では意味をなさない。どれだけ小説を論じたところで、個別の作品を取り上げなければ小説は論じ得ない。
というのも、小説が好きな人も嫌いな人もいるが、嫌いな人には小説という普遍な括り方ではなく、ここの作品を別物と見なしてもらいたい。そうすれば十把一絡げに「小説は嫌い」などということはないと思うのだけれど。
【おわび訂正】
先日投稿した原稿用紙かうんたぁではかった「幼なじみに弔鐘を」であるが、電撃換算で261枚と書いたが間違いだ。あれは400字詰め原稿用紙換算だった。42×17の電撃換算だと192ページと1行だった。ごめんなさい。