この動画のスエーデンアカデミー云々の話を聞いて思った。
スエーデンアカデミー曰く。
「どんなにグローバル化が進んでも、文学は固有な文化を孕む。現代文学は二重の背景を持つ。国民文学と世界文学である」
もっといってしまえば、文学はどこまで行っても個人的背景を孕む。個人と個人の外側に文学としての表出が生まれる。スエーデンアカデミーの話は至極当たり前の話である。
また次に曰く。
「各言語に特有の言葉のニュアンスは多言語に置き換えることが出来ないけれども、翻訳可能である文学が世界文学として認められる」
これも、そのまま個人に置き換えられる。執筆をするとはある意味翻訳をしているようなものである。自分の言語を他人にわかるように翻訳する。自分を通して世界を見て、それを他人がわかる言葉に置き換える。この視野を少し広げれば、そのまま世界文学と言えるようなものが出来るのではなかろうか。
社会運動では「グローバルに考え、ローカルに行動せよ」という言葉があるが、文学ではこれの逆さまのことが言えるのではないか。文学に於いては「ローカルに考え、グローバルに表出せよ」