- 卯の花の 匂う垣根に
時鳥(ほととぎす) 早も来鳴きて
忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ - さみだれの そそぐ山田に
早乙女が 裳裾(もすそ)ぬらして
玉苗(たまなえ)植うる 夏は来ぬ - 橘の 薫るのきばの
窓近く 蛍飛びかい
おこたり諌むる 夏は来ぬ - 楝(おうち)ちる 川べの宿の
門(かど)遠く 水鶏(くいな)声して
夕月すずしき 夏は来ぬ - 五月(さつき)やみ 蛍飛びかい
水鶏(くいな)鳴き 卯の花咲きて
早苗植えわたす 夏は来ぬ
美しく夏を描写している。現代の都会っこが夏を描写せよと言われたら、「クーラー」とか「エアコン」などしか出てこないのではないだろうか。
日本の夏はこの詩のごとくかくも美しかったのだろうか?
忍び音、が気になっていろいろ拝見していたら、作詞者の佐佐木信綱は作詞した当時東京在住で、おそらく、想像で書いているのではなかろうか、というのがあった。
多分、想像と体験はどっちもどっちで、体験を想像で補っているのだろう。
想像で夏を描写せよと言われても、上記の通り現在の都会っこでは不可能だ。まず、蛍なんて、蛍を培養しているような所にしかいないし、宿と言えばビジネスホテルを真っ先に思いつくし、田植は早乙女(田植えの日に苗を田に植える女性)の代わりに今やこれである。