文学・文具・文化 趣味に死す!

小説家 星香典(ほしよしのり)のブログ。小説、映画、ファッション(メンズフォーマル)、政治、人間関係、食い物、酒、文具、ただの趣味をひたすら毎日更新し続けるだけのブログ。 ツイッター https://twitter.com/yoshinori_hoshi  youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UC0YrQb9OiXM_MblnSYqRHUw

昨日、意を決してコロナ震源地、東京に乗り込んだ!

東京は昨日も100人近い感染者を出した。

 

ある情報筋に寄ると、月曜日、緊急事態宣言の発令に合わせ東京もロックダウンとなるという。

 

今や、東京は死の町である。

 

ロンドンやイタリアやパリのように、道ばたには警官しかいない。

 

そんな光景を思い浮かべながら、いざ東京上野に乗り込んでみると、…………

 

 

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ん? なんかいつもと変わらないぞ。

 

ちなみに今回もペンタックスK-7

フォクトレンダー単焦点40mmの一本勝負である。

 

 

アメ横もご覧の通り。

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アメ横名物、ガード下の昼間飲みも健在。

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うーん、人が少ないと言われればそうかもしれないが、平日の真っ昼間なので、こんなもんちゃ、こんなもんなような気もする。

 

 

 

さて、続いて秋葉原

 

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店はいつも通り開いていた。

 

 

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メイドさんも普通に営業中。

 

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というわけで、ぺんぺん草も生えていない東京、コロナで恐れおののいている東京を想像して行ったら、いつもと変わらずで逆に驚いた。

 

 

きっと、コロナを知らないで秋葉原に降り立った宇宙人は、「今年は花粉がひどいのかな?」程度の印象しか受けないだろう。

 

しかし、東京に店を構える友人の話では、人通りが全然違う、とのことである。毎日いる人間と、私のようにたまに東京に出る人間では感覚が違うのだろう。

 

ネット空間の言論では、「恐るべし、コロナ!」であるが、実際の東京は、一人一人が恐れているかどうかは別として、呑気であった。途中寄った喫茶店も、いつも通り人がいた。

 

数は少ないが外国人観光客らしき人たちも買い物を両手に抱えていたし、秋葉にしろアメ横にしろ、いつもいる人たちが今日もいる、という感じか。中国語も結構聞こえてきたが、さすがに以前よりは少なかった。

 

小池さんがムキになるのも分かる気がする。これだけ世界が騒いでいて、オリンピックも中止にしたのに、この平穏では示しがつかない。ロックダウンは秒読みである。

 

 

命について

www.youtube.com

 

多和田葉子に、

「命よりも大切な者がある。特攻隊はそれを表現した」

と絡んだオヤジがいたらしい。

もちろん、多和田に撃退された。

オヤジは多和田の作品を読んでいなかったのだろう。

 

 

多和田葉子は言う。

日本語の「命」というのはじつに独特な意味合いをもつ。

「命」には英語のlifeやドイツ語のlebenといった意味はない。

 

「命」は単に息をしている、という意味しかない。

 

わたしはこの考察を非常に興味深く聞いた。

 

つまり、「命」と「人生」は別物なのではなかろうか。

 

日本は、命、という言葉があるがために、本来、「人生至上主義」と訳すべき概念を、「人命至上主義」と誤訳してしまったのではなかろうか。

 

わたしは多和田女史の大ファンであるが、特攻隊についてオヤジの感覚に近い。というのも、命を至上にしてしまうと、そこで、思考が終了してしまうからである。思考が終了してしまえば、文学も哲学もなくなる。

 

ドイツが戦後フランスに思想界の主導権を握られてしまったのは、ナチスを絶対悪として思考停止に陥ってしまったからだ、という議論にわたしは首肯する。絶対なるもの、至上なるものを想定してしまったら、思考はその必要性を失ってしまうではないか。

 

 多和田女史の新作を今から楽しみにしている。

星に仄めかされて

星に仄めかされて

 

 

この世には人類が滅亡した方がいいと思っている人もいる。

headlines.yahoo.co.jp

 

わたしはウーマン村本氏とは全く相容れない思想であったが、図らずも今回のコロナに関しては、氏の考えがよくわかるので、複雑な心境である。

 

はじめに言っておくが、わたしがコロナを馬鹿にしているのはたかだか70人ほどの犠牲しかなく、もしこれを問題視するなら、交通事故の死亡者のほうが多いわけで、車が走っている限り政府は緊急事態宣言を出さなければならなくなる。

 

これがもし、1万2万死んでいたらわたしもビビる。故に、欧州で起きていることは端倪すべからざるものだと認識している。だからこそ、日本の焦燥ぶりが滑稽に映るのだ。

 

ただ、わたしとウーマン氏、もしくはコロナ礼賛派に違いは、人類など滅亡してもいいと思っているか否かである。わたしは人類の滅亡には賛同しかねる。しかし、この世界には心から「人類は滅亡した方がいい」と思っている人がいる。その人達に対して、コロナの危険性を説けば説くほど、彼らの高揚感を高める作用しかない。

 

ウーマン氏は日本が(日本政府が)滅亡した方がいいと思っているのだから、コロナ対策に消極的なのは自明である。