文学・文具・文化 趣味に死す!

小説家 星香典(ほしよしのり)のブログ。小説、映画、ファッション(メンズフォーマル)、政治、人間関係、食い物、酒、文具、ただの趣味をひたすら毎日更新し続けるだけのブログ。 ツイッター https://twitter.com/yoshinori_hoshi  youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UC0YrQb9OiXM_MblnSYqRHUw

Amazon ちゃんと来た。獺祭レビュー。感想。美味すぎ。

amazonあり得ん やってくれた、 ちきしょーーー! - Yoshinori Hoshi Official blog

 

前回、Amazonあり得んという記事を書いたが、今度の約束はしっかり守ってくれた。8日にちゃんと届いた。

昔全然なかった獺祭だが、最近では結構普通の値段で売っていて、それほど入手困難ではないらしい。

でも、電車移動&駅から結構歩くわたしにとって一升瓶を担いで帰るというのはちょっと修行だ。なので、Amazon宅配はありがたい。

Amazonは一升瓶専用の段ボールを作ったらしい。

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この中に大きなプチプチで包まれた一升瓶が入っている。

 

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さて。商品はちゃんと届いたが、中身はどうなのだろうか。本物の獺祭だろうか。

ちゃんと確認しなければならない。

確認したら滅茶苦茶美味かった。

マジか? 今まで何回も獺祭を飲んだことがあったが、この日飲んだ獺祭に優るものはない。開封してすぐだからだろうか。

香り、コク、フルーティさ、バランスが素晴らしい。甘いだけの純米吟醸とは訳が違う。特にフルーティさは秀逸で、白ワイン的な酸味と、葡萄っぽい後味が鼻腔に抜ける。

こんな酒が三千円で買えるとは、なんといい時代ではないか。

 

 

獺祭(だっさい) 純米大吟醸50 1800ml

獺祭(だっさい) 純米大吟醸50 1800ml

 

 

銀座ぶらぶらの写真 閑話休題

銀ブラとは銀座でブラブラすることではなく、銀座でブラジルコーヒーを飲むことらしい。同じ様なことである。

銀座は高くてとくになにかを買うわけではないが、良い街である。

この前の土曜、歩行者天国をやっていた。

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夏の文学館のあと、ホコ天を通ってニコンサロンへ。ニコンサロンはただで写真展をやっている。なにをやっているかは行ってのお楽しみ。この日は沖縄の風景だった。

 

その後GSIXへ。地下に能楽堂があるのを初めて知った。閉まってたが。

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蔦屋はまた変なものを売っていた。

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↑中央右端に値札が付いている。

↓値札拡大。

 

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お値段54万円なり。安いのか高いのか知らないがわたしは要らない。送料は別途見積もり。

 

フェラーリが欲しい。銀座はなんでも売ってる。54万じゃ買えないが。

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夏の文学教室に行ってきた その2 安藤礼二先生の講演

 

死者の書 (角川ソフィア文庫)

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 キンドルなら無料もある

 

死者の書

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安藤先生は折口信夫死者の書についての講演をされた。死者の書は闇から始まり、光でおわる。

折口は民俗学研究のようなことをしていたらしい。そこで、言語の研究をしていた。言葉というのは精神的なものと物質的なものの垣根を取り払う、そういう機能があるという。

また、本来喋る言葉には、音楽のような曖昧性や感情を動かすパワーがあったと。

このことはよく宮台真司がよく言っている、感情を伝えるはずの言葉が書き言葉に変わったことにより大規模統治が可能になり官僚支配がはじまり云々の話と一致する。

安藤先生の話では、言葉にそういった感情的能力を託せるのは、もっとも上の人間ともっとも下の人間だという。もっとも下の人間とは芸能関係の人間。

もっとも上の人間とは天皇である。

日本人は天皇の言葉に動かされる。

そう考えると、天皇陛下が文章ではなくビデオで語るというのは、そのことを意味しているようだ。

死者の書が書かれたのはS13年、226事件はS11年。

三島ではないが、折口も226事件という青年将校が理想国家を作ろうとしたのに、天皇の一声で「叛軍」にさせられてしまったことに、いろいろ思いがあったのではなかろうか。

沖縄とかの仮面舞踏では、祝祭によって、空間と時間を破壊することが出来る。天皇の代替わりのときに発する言葉も同じで、それまでの時間、空間を新しいものと変えることができる。

我々が新年のお祝いをするのも一つの祝祭で、単に昨日と同じく地球が一周しただけなのに、新しい年明け、ということで気分が変わる。天皇の代替わりはそのすごいバージョンかもしれない。安藤先生は言わなかったが、たぶん、天皇の退位は気に入らないのではなかろうか。

 

漫画も面白そう。

 

死者の書(上) (ビームコミックス)