文学・文具・文化 趣味に死す!

小説家 星香典(ほしよしのり)のブログ。小説、映画、ファッション(メンズフォーマル)、政治、人間関係、食い物、酒、文具、ただの趣味をひたすら毎日更新し続けるだけのブログ。 ツイッター https://twitter.com/yoshinori_hoshi  youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UC0YrQb9OiXM_MblnSYqRHUw

祝! 10万アクセス! ブログの魅力とは

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ついに10万アクセス達成である。

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ブログを開設したのが2014年1月26日。

丸四年である。

ほんと、読者の皆様に感謝である。

たしかに、少しは読者の為になったり、おもしろがってくれたりしたらいいなぁ、と思って書いてはいるが、ほとんどはただの自己満ブログである。

いや、もう完全に自己満ブログだ。

「10万アクセス祝!」←露骨な自己満である。

10万アクセスはひとえに皆様のおかげです。

ありがとうございます。

自動車も10万キロ乗るのが一つの区切りである。

ブログと自動車は全然違うが。

もちろん、次の20万アクセスに向けて頑張る所存だ。

いつになるかわからないが。

 

ブログの魅力は匿名性だと思う。リアル世界でわたしがこのブログを書いているのを知っている人はいないと思う。いや、何人かはバレているがほぼバレていない。

だから、悩みも愚痴も政治的社会的考察も、気兼ねなく書ける。つまり、素の自分をだせる。たとえば、ダンディズムについての考察なども実名じゃとても出来ない。だって、そんなことを練りに練って考えている時点ですでにダンディズムではない。実名世界でダンディズムであるためにも、ブログは匿名でなければならない。

料理だって実名じゃ載せられない。男女平等とか建前ではみんな言うが、それは建前で、料理人以外の男が趣味以外で料理をするというのは、それも年中しているのは、他人の目が気になる、というものである。

面白い研究というか、分析があって、匿名性が高ければ高いほど本人に近づき、実名に近づく(フェイスブックなど)ほど本人から離れる。

匿名というと、誹謗中傷をする、とか印象がよくないが、それは匿名の負の一側面でしかなく、本当は上記のような利点もたくさんある。

もしブログをやろうかやるまいか考えている人は絶対にやった方がいい。

 

読者の皆様、今後ともよろしくお願いします。

首の皮一枚!

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昨日100アクセスを超えると、10日連続100アクセス超えが達成できる。

 

なんと、昨日のアクセス数、朝見て笑った、101アクセス!!

まさに首の皮一枚でつなぎとめられた感じ。そして、遅くても明日、早ければ今日にでも10万アクセスいくぞ!

 

最近荒野行動のおかげで寝不足である了解

ゲーム VS 小説 明日あたり10万アクセス行くかも!

 

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もし今日100アクセス行くと、十日連続100アクセス越えになる。しかし、いま72アクセス。あと二時間弱で28アクセス行くかどうか!?

また、運がよければ、明日あたり10万アクセス行きそうである。現在99862アクセス!

さて本題。

世の中には面白いものであふれている。ゲーム、映画、などの選択肢があるなか、よほど魅力的な小説でなければ、それらに打ち勝つことは出来ない。という言説は世の小説家を悩ましているに違いない。

ただ、わたしは一概に上記の言説が真実とは思えないのだ。というのも、この休み、iPhoneを充電しっぱなしで、豚肉料理を作る以外は、朝から晩まで荒野行動というゲームにドハマりした。やめられないのである。確かに面白い。が、その面白いは、悔しさがかなりの部分を占めて、次こそはもっと順位を、もっと敵を倒すべしと後を引く。

このゲームに限って言えば、闘争心に火をつけられてやり続けてしまう。競い合うという能動的な魅力がある。どんなに魅力的な小説でも、悔しい、という感情は起こらないだろう。その意味では小説は受動的である。映画はさらに受動的だ。小説や映画ではハイスコアを競えない。

と考えると、どれほど面白いゲームが出現したところで、小説の魅力はゲームとは別のところにあるのだから、その魅力が揺らぐことはないと思った次第である。

 

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