文学・文具・文化 趣味に死す!

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東芝の臨時株主総会に行ってきた!

わたしが大失敗したのはかれこれ93日前であった。

 

yoshinori-hoshi.hatenadiary.jp

 

売らずに持っていて、損失は広がっているのであるが、ここまできたらもうネタである。

 

怒号飛びかう、とかyahooニュースに載っていたが、その通りだった。

なんというか、もう滅茶苦茶である。

特に動議の扱いが酷かった。

動議が出ているにもかかわらず、あの飄々とした社長(綱川社長=議長)は軽くやり過ごす。動議の決を採らない。

あまりの酷さに、議長解任の動議が提出された。さすがにそれは決を採らざるを得ず、議長は動議を取ったが、賛成と反対、両方の声が出た。わたしは明らかに賛成の声のほうが大きかったと思う。なのに、議長は「反対多数で否決です」とさらっと言ってのけた。

株主からは、

株主総会でも不正するのかっ!」

と怒号が飛ぶ。

 

あの綱川社長はよほどの大物か、さもなければキチガイで、反省の色など微塵も見せなかったし、何を言われても他人事のように受け流す。だから、質問で一番多かったのが、「役員の反省の色がまったく見えない」というものだった。

 

たぶん、いや、絶対、反省など微塵もしていないのが露骨に分かった。むしろ、四十人の役員たちは、自分たちは被害者、くらいに思っているのだろう。巨大企業の宿命か。

 

だから、質問にもまともに答えない。リストラ社風の問題を指摘されると、「それは東芝総合人材株式会社が管理しているのでわからない」とか平気で言うのだ。7千億の損失をだして、「内部監査は機能していた。経営判断に誤りはなかった」などといけしゃあしゃあと抜かす。そりゃ、株主もぶち切れる。

 

会場外はマスコミだらけで、四回もインタビューを受けた。そのうちの一回はテレビで、めっちゃカメラに取られた。ダンディズムの実践をしていてよかった。

 

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星新一賞受賞作を読んでみた

hoshiaward.nikkei.co.jp

 

ちょうど去年の今頃、SFにはまっていて、星新一賞でも出そうかと考えていた。結局出さず仕舞いで、久しぶりにサイトをのぞいてみたら、受賞作が発表されていた。しかも、アプリをインストールしたりするのは面倒くさいが、無料で受賞作が読めるので早速大賞を読んでみた。

以下ネタバレ。

実にシンプルで分かりやすい作品だ。製品のレビューを通じて、人類の衰退が描かれている。そして、最後にどんでん返しの落ちもついている。わたし的にはあの落ちは蛇足のような気がする。人類が自滅するだけで十分だったのではなかろうか。

それだと、誰が製品のバージョンアップをしているのかとか、矛盾が生じることになる。

うーん、難しい。

日本には超一流アパレルブランドがないという。

日本には超一流アパレルブランドがないという。

toyokeizai.net

面白く読ませてもらった。でも、これは仕方のないことであり、日本で超一流アパレルブランドを作るにはもう少し時間がかかると思う。

というのも、現在のアパレルが、エルメスやヴィトンが作り上げた伝統の上にあるのだから、なかなか東洋がそれらに加わるのは容易ではない。日本に限らず、アジアに超一流アパレルブランドがあるだろうか。

超一流アパレルブランドがヨーロッパに集中しているのは、やはり、ヨーロッパが発祥だからだ。あと100年くらい経てばこの状況は変わるかも知れない。超一流懐石料理屋が日本にしかないのと同じ理由だ。

毎度例に挙げて恐縮だが、HERZなどは日本のブランドとして成長するだろう。ただ、ブランド料をプラス200%くらい上乗せされるとたまらない。それなら、知る人ぞ知るメーカーで十分だと思う。

わたしは本物志向が高じてくれば、無駄なブランド料は今後なくなると考えている。ブランド価値とは安心と見栄であり、安心は情報で補うことが可能である。ネット社会の中で情報を取得することは容易なので、そうすると、ブランドの安心感という価値は相対的に下がる。

見栄も情報化の中で、ブランド料の不遜すぎる搾取に人々がそっぽを向き始めたら、見栄は見栄として機能しなくなり、愚かさの看板に成り下がる。すでに、全身ブランド尽くめのものは滑稽である。

ブランドがブランドとしての価値を提供するならば、そこでしか手に入らない希少性と独自性に特化するしかないだろう。身もふたもない言い方をすると、そもそも超一流ブランドを創出することは可能か? またする必要があるのか、という疑問がある。

レクサスは無理矢理ブランドを創出したわけであるが、あれは車という分かりやすい性能があってのことだと思う。アパレルに性能を求めるのは難しい。服に性能を求めるとヒートテックみたいなことになってしまう。

SEIKO、とくにグランドSEIKOはかなりブランド化に成功していると思う。さっきHPを見てきたら、初代GSの復刻をプラチナケースにして、お値段320万円也。