このブログで、わたしはキャッチコピーの分析をしている。
じゃあ、おまえは上手なコピーを書けるのかと言われれば、評論家は必ずしも作家ではない、と言い訳したくなるものの、わたしの作品に誰かがコピーを書いてくれるわけではなく、自分で書かざるを得ない。
拙著新作、「かぐや姫を好きになったら」のコピーは以下の通り!
―― もし、好きになった人がいなくなってしまうなら、想い出や感情も消してしまったほうが幸せだろうか? ――
制約は55文字以内。
悩みに悩んでこれだ。今見返すと、我ながらインパクトが薄い。イメージもしにくい。反省多大なり。
ちなみに初稿は以下の通り。ほんの少しだが、コピー推敲の奇跡をお見せできると思う。
もし、好きになった人がいなくなってしまうなら、感情や記憶も一緒になくしてしまったほうが幸せなのだろうか?
まず、「感情や記憶」これは硬いので、記憶を想い出に変えた。
「一緒になくしてしまったほうが」はなにを言っているのか明瞭ではない。「消す」の方が言葉が強力だと思った。
最後の「幸せだろうか」か「幸せなのだろうか」は迷った。この短さだと、あっさりとさせた方がリズムが良い。主人公の一人称にしたかった。だから、「なの」が加わると、若干客観的に聞こえてくると思って、「なの」は取った。
ちなみに、225字制限の方には「なの」を入れてある。この長さを収めるには「なの」があった方がいいと思った。しかし、これはコピーと言うよりもあらすじ。
援助交際をしているようだったり、跳び蹴りをくらわせてくれたりするけれども、僕は彼女のことが好きだった。
褐色の妹とは気が合った。二人乗りの自転車を限界までこぐ。僕の背中にしがみつく妹。僕たちは、血の通った兄妹よりも兄妹みたいだった。
彼女と妹は僕の世界の大切な構成要素だ。その二つが欠けてしまうとき、僕は僕の世界を維持できるのだろうか? 煙の出るチョコレートでも、発酵した麦茶でも、この気持ちを癒せないのだとしたら、想い出や感情も消してしまったほうが幸せなのだろうか?
もうじき発売! こうご期待!